今年ももうすぐ誕生日を迎える。
2年半ぶりに里帰りして部屋の片付けをしていると、一通の封筒が出てきた。
差出人は18歳の私。宛名は「10年後の私へ」
うーん…記憶にない…そう言えば書いたような…そんな曖昧な記憶を抱えながら封を切ると、未来の私への祈りのような言葉が並んでいた。
少し…いや、かなり恥ずかしいけど、もしよければ18歳の私の声を一緒に覗いてみてください。
この手紙の存在を、私は長らく忘れていた。
「夢を追い続けてほしい」
「人を大切にしてほしい」
「自分を労ってほしい」
当時はそんな大きなことを考えていたんだなぁって、なんだか微笑ましい気持ちになった。
この10年、私は夢を追い続けただろうか。
人を大切にできただろうか。
そして、自分を労わることはできただろうか。
問いかけに答えるように、さまざまな記憶がよみがえる。
正直、18歳の自分が願っていたほど聖人君子な人間になるには、まだまだ時間がかかりそうだ。でもそうやって不完全ながらも、私はそのときの自分の気持ちに正直に生きてきた。
人を大切に…当時の私は、ただの綺麗事に過ぎない言葉を並べていたのかもしれない。けれど、いま振り返ってみればこの言葉こそが私の歩みを支えてきた柱だったのだと思う。
「また今度」では済ませたくない瞬間が人生には確かにあって、私はそのたびに自分の信条に従って行動してきた。
困っている友人がいれば、全力で力になりたいし、少しでもそばにいたい。
特別なことは何もしていない。気の利いたアドバイスもできず、ただ隣にいて彼ら彼女らの心の内に耳を傾けてきただけ。たったそれだけのことしかできなかったけど、いつも最後には相手の表情に少し笑顔が戻っていた。
それだけで私の心は満たされた。
これは以前、独立していった社員から届いたメッセージ。(本人の許可を得て載せています)
(このメッセージがどれほど嬉しかったか…)
この言葉こそが、18歳の私が信じた道を、確かに歩んできた証のように思えた。
ただ目の前の人と向き合って、一緒に歩み続ける。
人を大切にするっていうことは、きっと自分をないがしろにすることじゃなくて、相手の人生の一部に寄り添うことなんだろうなぁと、彼からのメッセージを受け取って思った。
それが巡り巡って大きな贈り物となって自分のもとに返ってくる。この10年でそれを学べたことが私にとってはとっても大きなことだった。
もう一つ、18歳の自分が願ったこと。
それは「夢を見ることをやめるな」ということ。
私は安定を手放し、起業という不安定な道を選んだ。
今だから言える話、胸の中には恐れも迷いもあった。不安すぎて眠れない夜を何度も経験した。それでも「理想を形にしたい」という自分の想いに逆らうことはできなかった。
いつも順風満帆には進まない。壁にぶつかり、時に立ち止まることもある。特に最近はそんなことばかりだ。
この間も、2週間かけて作成した企画書が1分でゴミ箱行きになり、たくさんダメ出しされたばかり…先方に対して良かれと思ってやったことが裏目に出て、ひたすら頭を下げ続けるという1日を過ごしたのも記憶に新しい。
それでも夢を追うことをやめなければ、その時間には必ず意味がある。夢を見続けること自体が私の人生を支えてきたのだと、今ならそう言える。
そして最近、私のもとにまた新たな手紙が…
「非凡な成果を望む経営者へ」と書かれた、経営者として次のステージへ進むための招待状だった。
いま私は新しい挑戦の始まりにワクワクしている。
とはいえ、これは数多くある挑戦の中のほんの1つに過ぎない。挑戦はまだまだ終わらないし、むしろここからが本当の始まりなのかもしれない。
ひとつだけ、今も課題として残っているのは手紙の最後の部分。
「自分を労る」ということ。
不器用で、やると決めたら多少の犠牲を払ってでもとことんやり抜く性格は今でも変わらない。(だから人生は楽しいんだけども…!)
過去の自分からの忠告は、これからの人生をより豊かにするための課題として胸に刻んでおこうと思う。
これから訪れる人生の岐路…様々な選択を迫られたとき、あの手紙に書かれた言葉はこれからもきっと私の背中を支え続けてくれると信じている。
なんかすごい自己陶酔っぽい記事になってしまったけど、それもまたひとつの物語として残しておけたらいいなと。笑
10年後の私はどんな人生を生きてるんだろうなぁ…🤭