酔っぱらいの戯言

「あの時あの道を選んでいれば」

そう思いたくなる夜ってあるじゃない。

そんな時に「今の人生のほうが絶対に幸せだ」と思えるような生き方をするには、どうすればいいんだろう。

2025年の年末に思ったことは、結局のところそれだった。

人生29年目になる2025年は、私にとって大きな意味を持つ1年だったように思う。

例えば、2024年の私といえば「人生を変えたい。もっと幸せになりたい」と思いながらも、どこか弱腰で「30になるまでに頑張ればいいや」なんて出来の悪い言い訳を自分に言い聞かせるだけの愚か者だった。

それに比べたら、2025年はまぁまぁ頑張れたんじゃないかなと思う。

これまで蓄えていた資金を元手に、新たな挑戦に踏み出した。振込みの際に手が震えるほどの金額を未来の自分に託した。失敗したら後戻りはできない。でも、これまでの怠惰な自分に終止符を打つにはもうこれしかなかった。

やっぱり私は刺激のない人生じゃもう楽しめないんだと思う。

低リスク/ローリターンな人生を送るくらいなら、デカいリスクを背負ってでも大きな成果を掴みにいきたい。うまくいってもいかなくても全部自分の責任。だからこそワクワクする。つくづく刺激中毒な人間だ。

いま思えば「警察官になる!」と言って、新卒で勤めた会社をわずか10ヶ月でやめたときもそうだった。

この時の上司は「働きながら警察官を目指せばいい、早まるな」と声をかけてくれた。でも自堕落な私はそれじゃあダメだとわかっていた。退路がある限り、私は絶対にそれに甘えてしまう。だからこそ、後には引けない状態に自分を追い込む必要があった。

追い込まれた人間のパワーって凄まじいんだよ。知ってる?

ライバルは高校を卒業したばかりの現役達。それに対して私はブランクが3年もある。数式なんて忘れたし、化学式だってチンプンカンプン。その差を埋めるために毎日15時間勉強した。

友達との遊びも、娯楽も、恋愛もすべてを犠牲にして、「警察官になる」という目標に向かってただ一直線に突き進んだ。

その甲斐あって3ヶ月後には警察官試験に合格。警察学校入校後は首席第一候補としての立ち位置を築いた。

後に知ったことだけど、私が志願した年は倍率17倍という、ここ数年でもっとも運の悪い年だったらしい。

いま思い返すと、これまでの人生で「大きな変化」が訪れた時、私はいつだって危機感を原動力にしていた。失敗すれば人生はどん底、でもうまくいけば人生は大きく好転する。そんな人生にワクワクしてしまう。

ただの無謀なバカだと思うかもしれないね。アタリ。でも人生なんてすべて自分の責任なんだから、失敗して苦しむのは自分だし、挑戦しないで後悔するのも自分。

「絶対にやめておけ」「後悔する」「まだ早い」周りはドリームキラーだらけ。その声に従ってうまくいかなかったら誰が責任取ってくれるの?誰も責任なんて取ってくれやしないよ。だったら自分の思うままに生きたほうがよくね。

年末のRIZIN見た?朝倉未来選手とシェイドゥラエフ選手の試合。

ぶっちゃけさ、シェイドゥラエフ選手との試合が決まったときから、こういう結末になるんじゃないかなってことは、ファンのみんなはなんとな〜くわかっていたと思うんだよね。

本当はもっとラクに勝てる相手だっていたはずなのに(失礼な言い方ですみません)。それなのにあえて誰もが戦いたくないと思う超危険な相手と、逃げずに真っ向から立ち向かっていく朝倉選手。

それがあまりにも眩しすぎて。いろんなことから逃げてきて、やらないといけないことをやりきれないまま、過去の経歴や栄光にすがっている自分が情けなくて。

私は逃げてきたから。勝負から。

自分が納得しやすいストーリーを信じて、自分を騙せる言い訳を作って、幸せな自分を演じて、失敗したらそれっぽい理由を作って。

そうやってずっと逃げてきたから。

他人が見てる私は、きっとお金もあって、自由もあって、仲間に囲まれて…ちょっとした成功者に見えていたかもしれない。

でも実際は違うよ。

私は成功者でもなんでもない。私の心はいつだって飢えていた。そんな現実を見たくなかった。

周りから見たら「頑張ってる」なんて評価をもらえていると思う。けど他ならぬ自分が「いや、もっとやれるじゃん」なんて言うもんだから。

いつまで経っても苦しくて。

人生ってさ、RPGみたいなもんだよね。

ゲームの序盤はまだレベルも低くてお金もない。でも成長の余地も欲しい装備もたくさんあって、「戦うことで得られるもの」が多くて、戦うこと自体が楽しかった。

でもゲームを進めていくうちにレベルが上がって、お金も増えて、欲しい装備も買えるようになる。少しずつ「お金のため」に戦うことがなくなっていって。それでも「ラスボスを倒す」っていう大きな目標があるから戦いを楽しめたんだと思う。

そしてやがて訪れるゲームの終盤。ついにラスボスを倒すという目標を達成した後に残ったもの。それは達成感と喪失感、その両方だった。

ゲームだったらそこでエンディングが流れておしまい。でも人生は違う。目標をクリアしたからと言って、そこで終わるわけじゃない。秒針はまだまだ動き続ける。

人生とRPGの違いは、自分で目標を明確に見定めなければならないこと。目標を達成して充実感を得る。そして喪失感とともにまた次の目標を定める。そんなことの繰り返し。

それなのに私は目標を疎かにして、お金「だけ」のために動いてしまった結果、幸せがわからなくなっちゃった、というわけ。飽きちゃったんだよね。まだゲームの中盤だっていうのに、成長しなきゃいけない焦りと、ウンザリとした退屈な気持ちが共存して。

まるで夏休みの最終日のような日々。未だに終わってない宿題を眺めているような喪失感や苛立ち。形容しがたい胸の痛みが何日も続いて。そのたびに「なんのために生きてんだろ〜」なんて思ったり。

努力の方向性が外的要因になると、ほんとロクなことにならないね。私もそんなロクでもない人間の一人。

成功者って自己管理がすごく上手。みんなワクワクして生きてるじゃん。目標を定めて、自分の立ち位置を把握して、その間にあるギャップを埋めるために「今やるべきこと」を洗い出して、最大効率で最大の成果を出す。

【現状→「今すべきこと」→理想の未来】

ようは目標と現実の間にしかすべきことはないってこと。常に目標に向かって走り続ける、だからこそ彼らは輝いて見えるんだよね。

私もそうだったな。豪遊してタクシーに乗って帰ったあの日より、夜に自転車を漕いで、公園で友達と夢を語りながら乗ったあのブランコのほうが100倍好き。

私はこのフロンティア精神を武器に人生を切り拓いてきたし、何かに挑戦すること自体が好きだし、そこに合理性なんて求めていなかった。それなのに、私は長いこと自分の心に火を灯せていなかった。

そんな自分が大嫌いだから、もう一回挑戦してみよう。

だから自分にとって2025年はすごく意味のある年だった。

もう100点満点だよ。人生をかけてやりたいことがハッキリ見えたんだから。

「10代の頃、あんなにやりたいことが見つからず好き勝手して、時には親を泣かせて、いろんな人に迷惑をかけて、腰抜けで、ワガママで、傲慢だったアンタがよくやりたいことを見つけられたよ。あとはそこで結果を出し切るだけだね」

なんて。もうそれだけで100点だよ。

…ちょっと飲みすぎたみたいで、酔ってきた。

まぁ、何はともあれ2025年は再出発の年になった。

そして2026年。かねてより宣言してきた「100億経済圏」を作るために、本格的に動き出す。これだけ大々的に宣言しちゃったもんだから、失敗したら恥ずかしいなぁ。

「セイカさんならできますよ!」

なんて、普段から私の発信を見てくれているフォロワーさんや仲間たちには言われるけど。実物はただの元・半グレよ。

自分の管理すらうまく行き届かず、無駄に意識だけ高くて、周りが努力して結果を出していく背中を指を咥えて見ていることしかできなくて。行き過ぎたポジティブでメタ認知すらできていないときた。

と思ったら、肝心な時にメンタルやられていて使い物にならない。

言っとくけど。私なんて、いま支えてくれてる周りの人がいなかったら「ゴミ」だからね。太宰治さん、私こそ「人間失格」です。

今までいろんな人と出会い、いろんな本を読んで、自分の見てる世界を広げてきたつもりだけど、結局「人間ってなんのために生きてんだろうね」なんて、どう考えても答えのない疑問に執着しちゃうわけ。

ちなみに、太宰治の人間失格を読んだ9割の人間が、主人公の葉蔵に自分を重ねて「自分は人間失格だ」なんて思うらしいね。(私もその9割の中の1人でした)

…やーば。なんか長い。眠くなってきたし、気絶する前に今後について少しだけ書いておこうか。ちょっとだけね。

とにかく私はもう、お金のためだけに働くのをやめる。自分だけが豊かになっても、それが本当の幸せとは思えなくなったから。

幸せは独り占めにするものじゃない。周りと一緒に同じ方向を向いて、少しずつ育てていくものだと思う。

これまでの私は「価値を提供する」という考え方を手放したことはなかった。お金は労働の対価というよりも、「ありがとう」の延長線上にあるもの。誰かの役に立って、感謝されて、その積み重ねが信用となって、結果としてお金も後から付いてくる。

そんな循環の中で、私は生きていたい。

誰かの不幸の上になり立つ成功も、
大切な人を置き去りにして得る幸せも、
私には必要ない。

年明け早々、たくさんのメッセージを頂いた。画面越しに伝わる言葉を一つひとつ読んでいるうちに、「あぁやっぱこの仕事をしていて良かった」って、心から思ったね。

今でこそ、まぁまぁフォロワーがいるから、こういうメッセージを頂く機会も増えた。

この一つひとつが私の宝物で、私の原動力でもある。ビジネスを始めてから今まで、私はこういうメッセージを全部保存して、プリントアウトしてからファイルに収めてる。

ちょっと落ち込んだときとか、炎上したときとか。そういう夜にこのファイルを開いては、ニヤニヤしながら自己肯定感を取り戻している。(キショいでしょ😂)

自分の人生を発信すること、迷い、立ち止まり、それでも前を向く姿をさらけ出すこと、それを見た誰かが少しだけ勇気をもらって「自分も頑張ってみようかな」なんて思ってくれたらさ、それはもう仕事以上の意味を持っているなって思う。

いつの間にか、発信活動そのものが私の生きがいになっていた。だからこそ、ダサい生き方なんかできないじゃん。言葉だけ立派で、中身が追いついていない自分ではいたくないのよ。

私には1000万円以上のお金を投資してきた事業がある。このまま続ければ1億円を超える事業に化ける可能性が高くて、客観的に見ればやめる理由なんてどこにもない。

でも私はその事業に誇りが持てなかった。

人のためになる事業であることは間違いない。価値もあるし、世の中で求められているとも思う。でも、心のどこかでずっと引っかかっていたのも事実で。

「本当に私は胸を張ってこの事業ができるの?」

答えは何度問いかけても同じだった。どうしても心が完全には肯定してくれなくて。その事業には誠意がない。そう感じてしまった自分を、最後まで無視することができなかったんだよね。

合理性や効率、成功の確率。そういったものを並べれば、続ける理由なんていくらでも作れたんだけど。でも、そこに私の魂は宿ってなかった。

だからやめることにした。

これまでかけてきた1000万円以上のお金。失うものの大きさを考えれば、簡単に決断できることじゃなかった。損失が大きいことも、周りからの失望も、十分すぎるほどわかっている。

それでも、私はやっぱり自分の心に嘘はつけない。

この事業に出資してくれたボスにこのことを伝えたときは、かなりの勇気が必要だった。ワンチャン殴られるんじゃね?なんて思いながら、経営会議の後に「この事業を撤退して、次の挑戦に全集中したいです」って。

いま振り返ってみてもヤバい奴だよね、私。それはもう一大決心ですわ。もう何ヶ月も準備していたものを、それも莫大な資金をかけて、いろんな人を巻き込んだ後に「やめる」なんて。

そしたら、

「いいじゃん。どうせなら派手に暴れちゃいなよ」

って。

…脱帽〜。

YES、サー。

暴れちゃいましょうか。そしたら。

お金はまた稼げる。時間も、取り戻そうと思えば取り戻せる。でも自分を裏切る癖だけは一度身につけちゃうと簡単には剥がせない。私は誇りを持てない成功より、遠回りでも胸を張って語れる生き方を選びたい。

この選択が正しかったどうかなんて、きっとずっと先にならないとわからない。でも今の自分が納得して選んだ道なら、もうそれで十分じゃん。

私はもっと成長したい。自分自身を磨き続けて、その姿を正直に発信することで、ほんの少しでも誰かの背中を押せたらいい。

鬼ダサい姿を見せちゃうこともあるかもしんないけど、私は私なりに矮小な器を持って、これまでの腐りきった過去をここで全部綺麗に洗い流して、あの頃のくすぶってた自分とは決別しよう。

この決心がこれからどんな価値を持つようになるかはわからないけど、それが誰かの人生を良くして、その人がまた誰かを救って、誰かに手を差し伸べて。

そんな輪廻の一つになることに、甘んじよう。

なんかスッキリしたからもういーや。読み返しもしないし、添削なんてしないし、構成なんてもってのほか。ボスに怒られそうだけど、これを公開した勇気だけは認めてください。

眠いから寝る。おやすみ〜