「安定」を捨てたら、人生がちょっと面白くなった話

警察官をやめて起業した時、大きな川を渡るような気持ちだった。

こっちの岸には安定と安心があって、向こう岸には未知と不安。多くの人は「渡らないほうがいい」と言って止めてくれた。

でも、最終的に川を渡るかどうかを決めるのは自分自身。

もし周りの意見に従って川を渡らなかったとしても、後悔を抱えるのは決まって自分だ。後になって彼らを恨んだところで、誰も責任なんてとってくれやしない。

だからこそ、自分で決めた道を進むべきだと思った。

起業してからは会社員/公務員時代とは全く違う世界が待っていた。

頑張った分だけ収入は青天井で伸びるけど、結果が出なかったら収入は0。野生の世界に放り込まれたような環境で、私は「覚悟を持つ強さ」と「自分を信じる力」を手にすることができた。

今ではどれだけ大きなリスクを孕んだ決断に迫られても、「私には私がついている」そう思えるようになったから何事にも臆することなく挑戦できる。

資金繰りが難しい時期に、守りに入るのではなく、あえて人材への投資を決めたり。

SNSや公演など人前で話すことは苦手だったけど、今は自分の言葉で語りかけることで誰かの背中を押せるなら、多少の恥じらいや批判など気にしなくなった。

1年で1000万円かかってでも、学びのための自己投資であるなら迷うことなく即決できるようにもなった。

挑戦し続けているのは私だけじゃない。

いま私の会社には十数人ほどの仲間がいる。

年齢層は10代から40代まで幅広いけど、中心は20代。体育会系の熱量を持った彼ら彼女らと一緒に、私は日々挑戦を重ねている。

中には特別な背景を持つ社員もいる。

たとえば、10代の男の子。

彼には入れ墨があり、これまで何度か警察沙汰を起こし、就職も難しい状況だった。

まあ自業自得といえばそれまでなんだけど…

でも彼の口から「母子家庭で育ててくれた母に恩返しがしたい」「社長になって稼いで母をラクさせたい」という言葉を聞いた時、私は役員の反対を押し切って彼を入社させた。

彼に関する全責任は私が取るつもりだった。社員たちにもその思いが伝わり、みんなが彼を受け入れてくれた。

ヤンチャで喧嘩っ早いけど、抜群のコミュニケーション能力を武器に、今では営業部で大きな成果を出してくれている。時期エースとまで言われるほどだ。

彼の「夢を追う真っ直ぐさ」に、逆に私は力をもらっている。…ありがとう、望月くん。

そして、右腕は20代の青年。

名門大学に通い、卒業まであと半年だった彼は、私が起業すると聞いた瞬間に「今すぐ一緒にやりたい!」と言って大学をやめてまで入社してくれた。

一般的には理解し難いようなぶっ飛んだ決断だけど、彼は未来の安定よりも、私と一緒に挑戦することを選んでくれた。その決断の重さを思うたび、私は彼に対して強い責任と誇りを感じる。

そして左腕には30代の女性。

彼女は「みんなの母」のような存在で、厳しくも愛あふれる人だ。年下で社長である私にも遠慮なく意見をくれる。

会社を立ち上げたばかりの頃の私はまだまだ未熟で「全部を自分一人で頑張らなければ」と思い込んでいた。昼夜問わず働き、過労で倒れたことも何度かあった。

そんな私を見かねた彼女は私を強く叱りつけた。「もっと私達を信じてください!」と。

その言葉に私はハッとして、すべてを社員たちに委ねて、少しの間休養を取らせてもらうことにした。(まぁほぼ強制的にだったけど…)

休み明けに戻ってくると「もう全部終わってますよ」と、全社員が期待以上の仕事をしてくれていた。

今でもあの出来事は、私と社員たちとの絆を確固たるものにしてくれたと思っている。

こんな感じで、一人ひとりの背景が会社をただの「仕事の場」ではなく「生きる舞台」に変えてくれている。

私は社長として彼らに何かを教える立場かもしれないけど、実際は私自身も彼らから多くを学んで、経営者として、そして人としても日々成長させてもらっている。

背中を見せること、それが私が社員たちにできる唯一にして最大の教育だ。社員たちは言葉以上に、挑戦する姿から学んでくれている。そして、時に彼ら彼女らの存在が、私自身を支えてくれている。

だからこそ、これからも私は成長し続けたい。

それは単に成功や安定のためじゃなくて、「挑戦する自分」であり続けたいから。社員たちにとっても、そんな背中がひとつの指針になればと願っている。

人生は安全な港にとどまっていても始まらない。少なくとも私の人生はそうだ。そんな人生、退屈で仕方ない。

私はこれからも自分を信じて、自分で選んだ道を進み続けると決めている。そしてその航路の上で、仲間たちと一緒に成長し続けていきたい。

そんな人生をこれからも過ごせるのなら、これほど幸せなことはない。