20歳、新卒。
普通なら夢を語る時期に、私が抱えていたのは希望ではなく、1100万円の借金だった。
周りの友だちが「これからの人生で何をしたいか」を語る中、私の頭の中にあったのは「どうやって生き延びるか」という問いだけ。
社会に出る前から、私はすでに大きな十字架を背負っていた。
======================
前回の記事を公開した後に、ありがたいことに周りの経営者さんや友達、読者さんから多くの反響をいただきました。
その中で「どうやって起業に至ったのか」「そこに至るまでの経緯を知りたい」といった声を何件か頂いたので、今日は少し過去の話をしようと思います。
正直、自分の過去を語るのは中々恥ずかしくて、躊躇いもあるのですが…
あの頃の私の経験が”ほんの少しでも”誰かの勇気に繋がるのなら…そう思って、拙い経験ではありますが、この小さなストーリーを全世界に発信することを決意しました。
======================
就職が決まったばかりの頃、福岡にいる友人から連絡があった。
彼女は16歳で妊娠し、高校を中退。そのあと母子家庭となって、子供を育てながら必死に生きていた。
「やっと自分のお店をオープンできそう」と、彼女は夢に向かってお金を貯め、さらに借入をして準備を整えていたそうだ。
ところが、その大切なお金を詐欺によって失ってしまったと言う。
その額は…
最初に聞いたときはビックリしすぎて目を見開いた。いやいや嘘でしょ…!と。
「私が苦しむのはいい。でも、子供だけには飢えや貧困を経験させたくない」
驚きで声が出せない私に、彼女はそう言った。
親にもすでに借金をしており、これ以上頼れる場所はなかったそうだ。
けれど彼女は悲観することなく「自分がなんとかするしかない」と、どこか覚悟を決めたような目で淡々と話していた。
お金を貸してほしいとは一言も言われてない。いや、言えるわけがない。私が彼女の立場でも言えないと思う。
でも、当時の彼女一人でどうにかできる金額ではないことは私にもわかった。言葉にはしなくても、長い付き合いだった私は彼女のSOSを感じ取った。
「友達だから助けるのは当たり前」
その感覚だけで、私は1100万円を肩代わりすることを決心した。
今思うと「もっとちゃんと考えなさいよ…」とも少しは思うけど、その無鉄砲さが私の数少ない長所の一つでもあるから…まぁそれはそれでいいのかもしれない。(と、思うことにする)
新卒、手取り17万円の給料。そのうち11万円を返済に回し、残り6万円でやりくりする日々が始まった。
この時点で人生はほとんど詰んでいた。
だけど、私は一度たりとも後悔はしなかったし、悲観してもなかった。
もちろん、この金額で一人暮らしを維持するのは容易ではない。
私は友人の家に代わる代わる転がり込み、職場の上司や先輩にご飯や飲みに連れて行ってもらい、本当に多くの人に助けてもらった。
当時お世話になった人たちには、今でも心から感謝している。
経営者となった今、ようやく自分の生活に余裕が生まれ始め、かなり時間はかかってしまったけど、少しずつ恩返しができるようになってきた。
あの時の恩は生涯忘れることはないし、もし彼らが困難に直面したら、私は自分の人生をかけてでも全力で助けたい。本気でそう思っている。
(これを見ている当時ドン底の私を助けてくれた恩人の方々、もし何かあればいつでも連絡をください。必ず力になります。)
…少し話がそれてしまった。戻そう。
両親に助けを求めるという選択肢も、頭をよぎらなかったわけではない。
けれど私はもう社会人。これ以上、親に迷惑や心配をかけるわけにはいかない。自分でできることは自分でやる。必要以上に甘えない。それが、あの頃の私なりの矜持だった。
とはいえ、お金はない。銀行口座の残高は803円…家の前の公園に生えている雑草を見ながら「あれって食べられるのかな」と真剣に考えたこともあった。
けれど、その貧しさの真っ只中にあっても、私の周りにはいつも誰かがいて、心を潤してくれた。
だからこそ、苦しい状況だったはずなのに、いま思い返してもあの頃の自分は幸せだったと心から言える。
そんな生活を続ける中で、私は考えた。
「いつまでもこの生活を続けるわけにはいかない」と。
冷静に計算してみれば、会社員の給料だけでは借金を返し終えるまでに何年もかかる。昇給があったとしても天井は見えている。
その間に私は年を取り、この窮屈な暮らしをずっと続けなければならない。そう思った瞬間「現状を変えるためには、自分が変わらなければならない」と強く思った。
そこで私は、会社員の仕事とは別に物販を始めた。
独学で学ぶのは非効率だと判断し、ただでさえお金がないのに20万円を払い、専門家からコンサルティングを受けた。
来月のクレカの引き落とし日までに、なんとしてでも稼ぐ!その一心だった。
本業のホテル勤務を9時間こなした後、家に戻ってさらに9時間、物販に没頭する。寝る時間はわずか2〜3時間。過酷な毎日だったけど、その時に培われた体力と根性は、今の私の礎となっている。
幸い、事情を知っていた上司や先輩が空いている客室を使わせてくれるなど、ここでも人の助けに支えられた。
努力は実を結び、3ヶ月目には月収130万円を突破。得た収入をさらに事業に投じることで、収入は雪だるま式に膨らんでいった。
そして、社会人1年目を終える頃には、1100万円の借金をすべて返済し終えた。
本来であれば、毎月11万円を返済していけば完済まで9年はかかる計算だ。それをわずか1年で終わらせることができた。
さらに幸運なことに、当時はビットコインが一気に高騰した時代でもあった。
先輩に勧められて少しずつ投資していたおかげで、想像もできないほどの額のお金が手元に舞い込んできた。
もちろん泡銭だ。
反動で一気に豪遊したい気持ちもあったけど、私はお金についての知識を学んでいたので、身を滅ぼすほどの無茶な使い方をすることはなかった。(むしろ、あまりの金額に怖気ついて手をつけられなかった、というのが正しい…笑)
借金を返済し、経済的に余裕が生まれても、私はすぐに会社を辞めることはしなかった。これまで支えてくれた上司や仲間に不義理をしたくなかったからだ。
本業にも全力を尽くし、入社半年で「別店舗の支配人をやらないか」と声をかけられることもあった。いくら人手不足とはいえ、入社して半年の新入社員を支配人に昇格するなど、普通ではあり得ない。おそらく借金に押しつぶされる私の生活を少しでもラクにしたいという、上からの心遣いもあったと思っている。
私はそのありがたいオファーを丁重にお断りし、元の店舗で尽力させていただくことを選んだ。副業で学んだビジネスの知識を活かして、店舗の売上を2.6倍に伸ばすことにも成功した。
それでも私は常に次の可能性を求めていた。
ある日テレビで警察24時を見て、次は「警察官になりたい」と思うようになり…
(この話はまたどこかでできればと思う)
と、まぁこんな感じで自分の過去を振り返ってみた。
振り返れば、20歳で1100万円の借金を背負ったあの出来事は、私の人生を決定づける分岐点だった。
あのとき、友人を助けると決めたのも、貧乏生活を支えてくれた人達に救われたのも、物販を学ぶために勇気を出して行動したのも…すべては「人との縁」と「自分の行動」が導いた結果だ。
もしあの時、私が一人で抱え込んでいたら。もし周囲の人の支えに甘えられなかったら。もし現状を変えるための一歩を踏み出せなかったら…きっと今の私はいなかった。
人生は環境や境遇に左右される部分も大きい。
でも同時に、自分の選択と行動次第でいくらでも切り開ける。
その時に必要になるのは、人との繋がりなんだと思う。
孤独に勝てる人間なんていない。私は多くの人に支えられ、恩を受け、ここまでくることができた。だからこそ、今度は私が誰かの力になりたい。あの時の恩を、人生をかけて返していきたい。
私にとって人生は「人との縁に支えられながら、自ら行動して切り開いていくもの」
どれほど重い荷物を背負っていても、この2つさえあればなんとかなる。
本気でそう信じています。