情報に殺された“憧れ”たち

SNSが普及したことで、かつては水気を含んだ石と苔に覆われ、空気が澱んだ井戸の底に潜んでいた大勢の愚か者たちが、いまや堂々と陽の目を浴びるようになってしまった。

日々SNSを見るたびに、あちこちで煙が上がっていますね。

子供の顔写真を適切ではないタイミングで堂々と晒して炎上する子育てママ、行き過ぎた「マナー警察」アカウント、陰謀論と自己啓発が融合した「自称」目覚めた人たち…

どうしてこうも愚かな人間が増えてしまったのでしょうか。

(個人的には「バカが増えた」というよりは、SNSが発達した影響で境界知能のやらかしが世に露呈する機会が多くなっただけだと思っていますが)

SNSは賢く使えば事業を人の熱量ごと動かすエンジンに変え、共感を集めるブランドへと育てることができますが、その反面、過剰な自己演出や無理なバズ狙いがブランドの本質を歪めてしまう危険もあります。

今はSNSで素性を晒すことが権威性や信頼の象徴になっていますが、私は必ずしもそれが正しいとは思いません。それどころが、権威性や信頼の「代償」が大きくなりすぎているのではないかと危惧しています。

これは万人に当てはまることではありません。toBの事業をしている人や、すでに注目を浴びているインフルエンサーなどはクリーンに発信するほうがいいです。

しかし、私を含め多くの人間は無名の個人です。

無名の個人でもクリーンに走ろうとする人が増えていますが、だからこそ、このあたりで逆張りをすることが大変おもしろい展開になると予想しています。

最初に答えを言っておきましょう。SNSの必勝法は「魅せ方をコントロールすること」です。いわゆるブランディングというやつなんですが、この雰囲気のコントロールを自由にできるようになれば、どの媒体においても無双できます。

私は「見えすぎないこと」を重要視しているので、あえて「見せない選択」を取るようにしています。

私がSNSで公開しているのは、自分という人間のほんの一部分だけです。未公開の情報なんてたくさんありますし、むしろ公開していない情報のほうが圧倒的に多い。

誰とお付き合いをさせていただいているのか、誰とどんなお仕事をしているのか、どんな素性なのか。

これ、はっきりわかってしまったら興味わかないと思いませんか?もしくは「あー、こんなもんか」と思った瞬間に、一気に関心が薄れてしまいませんか?

例えば、仕事。

平成時代、昭和時代のあなた方に質問なんですが、”あのとき”無我夢中で全力で何かに打ち込めたのは「何もわからなかったから」という要因があるからではないでしょうか。

昭和世代なら恋人の自宅に電話をかけるとき「誰が出るかわからない」という緊張感ある状況を経験しているはずです。アラサー平成世代だって昔はYouTubeやInstagramもなかったので、田舎のヒエラルキーの世界で全力で生きてきたはずです。不自由がたくさんありましたよね。

昔は何も見えないんです。わからないんです。だから全力で目の前のことに向き合えたんです。「夢中」とか「ドキドキ・ワクワクする」みたいな感情は、わからないことが多い時に起こります。

若い人間だけでなく、オジオバも熱意を込めて働けない、生きていけない、楽しめない。こんな世界になってしまったのは、「世界が見えすぎているから」だと考えています。

大金持ちしか行けない会員制のBARや超高級旅館、プライベートジェットの中の様子、富裕層の付き合いなどが簡単に見ることのできる時代。

「あー、こんな感じなのね」と斜に構えるのが人間です。

ルイヴィトンのVIPルームに案内されたときでさえ興奮は長続きせず、あれほど大好きだった某有名人と食事をしたときも、数回お会いするうちに最初にあった緊張感もすっかり失われてしまいました。

会社員が上司見てもそりゃ憧れないですよ。昔は配属された3個上の仕事ができる先輩に憧れて無我夢中で働いたり、地元の先輩に全力でついていったり、会社の社長に憧れたり…とにかく「身近にいるすごい人」を若者は追いかけていたんでしょう。

でも今は違います。

画面越しに世界中のエリートと繋がれるし、メッセージもできますし、オンラインサロンとかもあります。テレビに出ている有名人とすら繋がれる時代です。

人は誰に憧れの視線を向けるのかというと、「素性の知れた身近にいるすごい人」ではなく「得体のしれない画面向こうでほくそ笑んでるイルミナティ達」です。

ここで伏線回収ですが、

「見えすぎる世界だからこそ見えないものに興味を持つ」

これが弱者の戦い方です。超簡単な逆張りです。猿でもわかります。

SNSを見ていると無料プレゼントのばら撒き企画とか、多くの人がやってますよね。最近だとメディアに出演している有名経営者たちまでもがこぞって参入してきています。

あんなの「なんか凄そうだけど結局ほかの人と遜色ないよね」と思われるに決まってる。だから私はやらない。

「こんなレベチな無料プレゼントもらっていいの!?」みたいな人、ぶっちゃけ何人いましたか?ほぼおらんでしょ。

配ってる人の顔色伺ったり、知り合いだからヨイショして善人面してる人間は漏れなく全員キショいですし、その程度のもんかと思われていますよ。

少なくとも私はそういう目で見ています。

私の発信を追ってくれている読者はリテラシーが高い人が多いので、そんな品性のない人間はおそらくいないと思いますが(いないと信じていますが)、もし心当たりがあるなら今すぐやめなさい。

いくらお金を稼いでいようと、私は自分の利益のために「心にもないこと」を平然と発し、弱者を騙してお金を巻き上げる人間を心の底から軽蔑していますし、そういう狡いやり方でしかお金を稼げないハリボテの雑魚どもは今後一人残らず淘汰していく予定です。(あなたと対岸で再会することがないよう祈っています)

少し脱線してしまいましたが、言いたいことはこうです。

何も考えず手の内を見せるな
何も考えずペラペラ喋るな
何も考えず顔を晒すな
何も考えず大勢の場に行って埋もれるな

これを気をつけるだけでもグッと自分の個性が滲み出ますし、思考力も身につきます。

何もかも見せるとは、自ら”底”を示していることと同義。「自分はこの程度の人間です」と。有象無象の人間ならなおさら興味が湧かない。

自分こそ、いつかは界隈の一角を担う人間になる!目立つ!注目されたい!という気持ちがあるなら、SNS上で黙る品格が必要です。

私は今までもこれからも絶対にSNS上で身分を明かすことはありません。そのほうがラクできるからです。おかげさまで素晴らしい人達から様々なオファーをいただいています。(このブログと自身のSNSを連結させていないのもそのためです)

目先の利益を手に入れる方法も大事なんですが、個人的には「太く長く」利益を享受できる方法も同じく価値が高いと思っています。

SNSはこれからますます影響力を持っていくでしょう。年齢関係なくSNSに触れる時代になりますので、今から積み上げることができれば人生単位で大きなメリットになります。

様々な手法や施策がこれからもとめどなく流れてくると思いますが、自分を安売りしていないか?という視点を読者のあなたには忘れないでほしいと思います。

ほんとに、もったいない人が多いです。

ちなみに、私は自分と同じく「わからないことが多い」相手のほうが好きです。恋愛もそう。底が見える浅はかな男には抱かれたいと思わない。思ったとしても最初の一回だけですかね。